【人生の本質】物事に正解も不正解もない。その人が楽しければいい。
生きていく中で人それぞれの正解、答えはあると思うけれど、それは他人に押し付けるものではない。
というより押し付けてはいけないと私は自制する努力をしている。しなきゃいけない。
もし聞かれたなら私はこういう考えで生きていると答えるのは良いけれど、あなたの考えは間違っていると言ってはいけない。
その人はその考え、生き方で楽しんでいるのだから、例え絶対に間違っていると思っても求められていない否定をするのはよくないなと思う。
本を読んでみると常識は間違っていることばかり
本を読む習慣が付いたのはここ2、3年の事で、その間に多くの本を読んできたが
本を読まなかったら得られなかった情報を沢山得ることができた。
情報を得るところはTVや会う人が大半だと思うが、ここで正しい情報を得られないと間違った事を常識として認識してしまう。
なので本は読むべきもので、読む価値のあるもの。
しかし世の中には本を読まない人が多過ぎる、私の周りの人はほとんど読んでいない。
だから間違った事を信じて生活している。
そこでついつい知っている事をそれは違う、これが正解だよと言いたくなってしまうが、否定から話し始めてるから相手は良い気がしない
聞く気がないことがほとんどだ。
ただ提供、共有する
知っている事を話すのはとてもいい事。
自分も再確認出来るし、相手は知らなかった事を知れる機会。
だけど言い方だったり、話す姿勢、トーンなどに気をつけないと嫌な感じになってしまう。
今まで信じていたものを否定されるのは良い気分ではないから。
私はこうした方が良いというスタンスではなく、私自身はこういう風に考えて生活していて、こんな良いことがあったよ。
とあくまで自分の事を話すだけを心掛けている。
そこから相手がそれを真似するかどうかは私が関わるところではない。
ただ提供する。押し付けない。
人生の本質は楽しいかどうか
結局のところ、私たちは楽しむために生まれてきたと私は考えているが
そうなると、正しいとか正しくないとかはどうでもいいことかもしれない。
正しいことをしていても、我慢し過ぎて心から楽しめていないのなら疑問が残る。
ならば正しくないことをして最高に楽しんでいる人の方が人生の本質を捉えている。
だから何事も、完璧にやろうとせずにそこそこで楽しむことを優先して生きていきたい。
今日のいっぽめ
知識ばかり蓄えて楽しさを感じていないのなら何のために生まれたのだろうとなってしまう。
頭でっかちにならないように人生を楽しむことを優先します。
それではまた〜